片隅より

ぼっちな狐の独り言

生命の還る場所

その頃、憑かれた様に歩いていた

3時間ほど野宿し朝も夜も歩いた

一日の歩行距離は70キロを越え

疲労困憊といった体で歩いていた

 

ある日、突然に意識が喜びに満ち

理由もなく、笑い出したくなった

精神が狂ったかと思ったが違った

命のヴェールが取り払われたのだ

 

日を追うごとに、その状態は薄れ

一週間ほどで元に戻ってしまった

生命に還れる場所があるのならば

そこは背中合わせの様にしてある

 

 

 

おじいちゃん達

毎朝来る、おじいちゃん達がいる

店で顔を合わせる内に仲良くなり

時に笑い声をあげながら楽し気だ

 

和やかな光景なのだが、耳が遠く

やたらと大きな声で話をするので

他のお客様にとっては迷惑だろう

 

だいたい決まった時間に来るから

言わば貸し切りのようなものだと

割り切るしかないかと思っている

 

営業的には困るが喫茶店としての

くつろげる場所を提供するという

役割は果たせているんじゃないか

 

僕の役割は、この空間を保つ床だ

気持よく過ごせるように掃除をし

照明や空調やBGMやらへの気配り

 

自分探しに異論はもちろんないが

一つのファンクションになり切る

そんな在り方もあって良いだろう

 

巡る季節

桜が散った 僕には桜が一年の節目だ

暑かったり寒かったり 色々あったり

そして街が薄紅に染まり 季節が巡る

 

季節は巡るけれど 時は過ぎ去り行く

命には過去も未来もない 刹那に在る

経験と呼ぶ 一塊の記憶が僕の正体だ 

 

散りゆく花は 時の流れの中にはない

明日を持たず無常に在って ただ散る

巡る季節は昨日を持たず 常に新しい

 

消極的人生論

休日の朝は忙しい、普段の常連さんに

休日の常連さんが加わってくるからだ

 

立て込んで満席状態になってしまうと

店全体に対して、目が行き届きかねる

 

だからと言って人を雇うのは気が重い

そこで、テーブルの数を減らしてみた

 

事業は拡大発展させていくのが普通だ

それを縮小させるなんて、とも思うが

 

綾なす人の世に、彩りのひとつとして

消極的人生論とかあってもいいと思う

 

追 憶

山の自然は僕の心を慰めてくれた

周囲何キロかに渡って誰も居ない

その事実が意外な程、心を癒した

 

だが、山では食糧が手に入らない

街生まれの僕には、為す術が無い

持参した食糧が尽き、街に戻った

 

街の夜空に煌めく星屑は見えない

よだかの様に命を越えてなお高く

飛び続ける覚悟が僕には無かった